国際ワークキャンプ名張

2008/4/24

名張のワークキャンプで

喜多川 権士

 見ず知らずの土地、初めて会う共催の方々。そんな中で自分はどう二週間を過ごしていくのだろう。その二週間で自分は何を得るのだろう。どんな人達と知り合うことができるのだろう。

 不安よりも期待のほうが大きかった。今思えばその時は自分に自信を持っていて、キャンプ先でも上手くやっていけるだろうという自負があったから。その自負は自分が今まで生きてきた中で備わったものであり、今でも間違っていたとは思わない。でもワークキャンプから帰ってきた時の僕は自信を失い、自分の人間的質を高められる場を求めていた。今でもそうかもしれない。

 「ワークキャンプは本当に楽しくていい思い出になった。また参加したい。」そんな感想を僕は書くつもりはないし、実際そうは思っていない。ワークキャンプで満足感を得るどころか逆にハングリーになった。これをきれいな言葉で表せば「このキャンプでの経験は自分にとって、次へ繋がる強い原動力となった。」この感想に至った経緯を自分の中で整理しながら感想文としてまとめることにする。

 共催の伊井野さんに最初に言いつけられた仕事は、これから僕たちキャンパーが生活するログハウスに溜まっていた糞尿の処理。ホースで糞尿を吸い上げ浄化槽の中に移すという作業だ。言うまでもなく、すさまじい臭さだった。こういう作業をしていると、公衆トイレに便座を吹くための除菌シートが付いていることが馬鹿らしくなってくる。そんな作業をしている最中、伊井野さんは「こんな経験できる君らは幸せだよ」と言っていた。確かに糞尿処理は普段経験することの無い仕事だ。だからとい言ってこれをできるということは幸せなのだろうか。その時はピンとこなかったが今になって「あのころの糞尿処理の意義」を考えている。考えてみると、僕らはどれだけ実体験に基づいた事を話しているだろうか?環境問題、戦争紛争、宗教問題、etc…。そのほとんどがマスコミなどから情報のみを得て、その情報を基本としている。しかしそれでいいのだろうか?マスコミがありのままの情報を正確に伝えようと努力したとしても結局はその情報は断片的なものになる。そんな断片的な情報社会の中で強い基盤と自信を持って自分を他人に伝えるにはやはり実体験に基づかせなければいけないのではないか。海外の問題に関しては、すぐに実体験しようとすることに無理がある。しかし自分の生活の身近な事に関しては実体験しておきたい。「自分のウンコがどこ行くかって?下水道に入って浄化槽できれいになるんだろうが。」こんな風に頭だけで分かったような気になるより、糞尿のドロドロと悪臭を思い出しながら、「自分のウンコがどこ行くかって?下水道に入って浄化槽できれいになるんだろうが」って言う方が血の通った話になるのではないか。(糞尿の話に関しては血を通わせる必要は無いかもしれない)

 はじめの仕事は汚れ作業だったがとてもよい環境でキャンプができたと感じている。朝、薄い霧の中で鳥の鳴き声やキツツキの木を叩く音が周りの山々に響き朝日が眩しかった。日が高くなると少し気温が上がり動きやすくなる。里山の中へ入っていきワークをしながらいろんな発見をする。きれいな夕暮れに続いて暗くなると近くの棚田で蛙の大合唱が始まる。外人は蛙の合唱をノイズの一言で終わらせるらしいが日本人はこれを季節の風物詩として感慨に浸りながら耳を傾ける。日本人でよかったと思える一瞬である。

 この美しい自然のなかで赤目の小学生や子供キャンプに参加した子供たちが遊ぶことができるというのは素晴らしいことだと思う。理屈抜きで、子供たちが里山で遊んでいるのを想像すると美しいと感じる。そして、そのために努力を重ねてきたケンや佐野ケン、伊井野さんの姿からは大変そうではあるものの、生き生きとした活力が感じられた。しかしその反面、自分がまだまだ努力不足だという事実が映し出されていた。

 子供と触れ合う機会。それは僕らにとってよくあるようで無い。そのせいだろうか、子供たちと最初触れ合った時、余りのエネルギーにびっくりしてしまった。僕らは「休む時間が欲しい」とよく言うが、子供たちは違う。暇になるたびに「何かゲームしようよ」「外で遊びたい」と訴える。子供の頭の中には「休む」という文字が無いのだろうか?彼らがここまでエネルギッシュなのは好奇心が強いからなのだろう。何かをすることは常に新鮮で新しい発見がある。ここまで自由に好奇心の訴えるままに行動することのできるその行動力に羨ましさを感じた。こう感じることができたのは僕にとって大きな収穫であり、いつの間にか理由を見つけては好奇心を抑えるようになった自分を見つめなおす良い機会だった。

 子供たちは僕にたくさんの事を教えてくれたが、子供キャンプの運営に尽力したケンや伊井野さん佐野ケンの姿からもたくさんの事を伝えられたと思う。彼らは大変そうではあったが表情が生き生きしていた。どれだけの努力をし、どれだけ大変な思いをしたのかは分からない。しかしはっきりしていることは彼らにとっての限界値と僕の設定している限界値が明らかに違うことである。自分を卑下するのは好きではないがここは認めざるを得ない。彼らは具体的な意味での「子供キャンプの成功」だけではなく抽象的な意味での「子供キャンプの成功」を目指していた。だからこそ充実しているし限界値を設定することがない。目標というのは大切ではあるがそれは設定の仕方によっては自分の限界を設定することであり自分を制限することになるが、自分の幅を広げることも可能だ。

 突然だが、僕は今のボランティアという言葉が好きではない。「他人のために無償で奉仕する」そんな美しい意味が含まれているが、この理念に従っても僕は自己満足できない。ましてや見ず知らずの人や土地のために無償の奉仕なんて気が進まないし、そんなものは善意の押し付けだと思っている。今回僕がこのキャンプに参加した理由は里山がどんな所か体験し勉強するためであり、自分のためである。ボランティアは行政が着手できない地域住民の要求に地域住民自らが応えるためのものであるべきである。要するにボランティアは「他人のため」ではなく「自分たちのため」が理念であるべきなのである。ここで言う「自分たち」の捉え方はたくさんある。名張市、三重県、日本、アジア…、大きく言えば地球でもよい。

 名張のキャンパー達には「自分たちのため」という意識が強かったと思う。そのおかげでリーダーのケンには結構迷惑をかけたが、自分たちの主張はしっかりしていただろう。やはりみんな特徴的だった。当たり前のことなのに自分の意見をハッキリと言い、相手の意見もハッキリと聞くことができるというのは気持ちのいいことだ。その時は意見が一致せず憤りを感じたが、今になって考えると気持ちのいいものになっている。また、キャンプの仲間たちは僕の幅も広げてくれたと思う。「こんな考え方ができる人がいるんだ」「こんな価値観もあるんだ」。名張のキャンプはこういう発見の連続でもあった。今でも連絡を取り合っているが、この関係はいつまでも続けたいと思える。

 周知の通り自己満足は必ずしも一人作業で満たされるものではなく、共同作業でしか満たされないこともある。この例として、伊井野さんが僕らに提案してくれた仕事がある。小屋作りだ。ワークキャンプで行う作業は前もってキャンプリーダーと共催の方々が試行錯誤して組み立ててくれたスケジュールと手順に沿って行われることが多い。しかしこの小屋作りは本来のスケジュールとは関係ない、伊井野さんと僕らキャンパー独自のプロジェクト。キャンパーが主体となって計画から建設まで一貫して行う。つまり自分たちの力を試す挑戦的課題だった。
この仕事は本来のワークの日程には組み込まれていなかったので当然ワーク外の時間で取り組むしかない。僕とエリックが中心になって行う仕事だったが、ワークの時間を使うことはできなかったので朝か夜に仕事をするしかない。僕はワークで忙しいことを理由になかなか上手く進めることができないでいた。そこで支えてくれたのがキャンパーのみんなである。自分の時間を裂いてまでも僕らを手伝ってくれた。朝五時に起きて協力してくれたり、夜の一時近くまで一緒に作業してくれたり、時には雨の中でも付き合ってくれたこともあった。みんなの協力なしでは小屋は完成しなかっただろう。

 小屋作りの途中で時間不足に悩んでいた僕に伊井野さんが言った言葉が頭に残っている。「時間がない?寝る時間や食べる時間があるやろうが。」
「この時間は仕事ができない」という限界を僕が作っていたことに気付かされた。そして何より新鮮だったのが、そういう限界を見ない考え方を当然のようにできる人がいるということである。

 伊井野さんの一言は時に僕の未熟な所を突き、隠れていた所から引っ張り出す。正直辛かったが伊井野さんが引っ張り出してくれた僕の未熟さが今の僕にとっての原動力だ。おかげで、今までは言い訳をして取り組んでこなかった事に今では挑戦するようになったと思っている。伊井野さんが指摘したことのすべてが正しく的確だったとは思っていない。しかしそれらは、真剣に向き合う価値のある発見ばかりだったと感じている。

 このワークキャンプは自分にとって発見の連続ではあったが、歓迎できる発見ばかりではなかった。今後、名張キャンプで見つけた多くの発見と正面きって面接し、取捨選択をしていくつもりだ。

 まだ整理のつかないところも多く大変抽象的な文章になりましたが、何を言いたいのか少しでも読み取っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

Last updated : 2008/4/24

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